達也 長倉


- 代表取締役社長
- 株式会社パーツワン
- 東京都 渋谷区
- Joined on 2017/11/23
Self introduction
長倉 達也(ながくら たつや)
株式会社パーツワン 創業者
東京都町田市出身。
2009年に株式会社パーツワンを創業。
社会に出てからの7年間は自動車鈑金業務(事故車の修理)で手に職をつけることを目指す。
しかし、自分の選んだ道に未来が見えないことを感じ、未経験の営業職にキャリアチェンジする。
ニチガスの契約社員として完全報酬型(フルコミッション)のダイレクトセールスに就く。
個人宅、集合マンション、賃貸物件オーナーを個人で開拓し契約を積み上げるノウハウを蓄積する。その他に、フリーランスのセールス活動を展開し、個人、法人問わず様々な顧客開拓活動を展開する。
2005年にフリーランスのセールス活動を一切辞める決断をする。
2005年秋に 双日株式会社へ転職。
ダイレクトセールス、コーポレートセールスを通した中で、お客様とどのような距離感をとれば良いのかが大切。多くのセールスが商談の場が本番だと思っているが事実は大きく異なっており、商談の前段階の関係性が最も重要。
どんなお客様も「あなたから買う理由」が必ずある。
現在はマーケティングテクノロジーやサービステクノロジーを仕組みとして表現できるよう開発中。
2007年に個人事業主 パーツワンをスタート
2009年秋に 株式会社パーツワンを設立
幼少の頃はサッカー中心の生活。高校時代にバイク、車に興味を持ち高校卒業後に自動車専門学校に進学。自分でエンジンを組み立てたり、サーキットや峠に行くなど好きなことに没頭する学生時代を過す。
在学中はサーキットを借りて走行会を企画したり、サッカー部を創設したり学業以外も活発的に行動する。学校はもちろん皆勤賞です。
年に一度の忘年会は多数の元インターン生が集まります。
Work experience
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株式会社パーツワン
代表取締役社長
2009年11月に株式会社パーツワンを創業。
日本中に眠った自動車リサイクルパーツと新しお客様をマッチングさせるリサイクルパーツ事業を展開。業界の慣習に縛られず独自のマーケティング論やセールス活動を続け着実に顧客開拓を続ける。
2014年よりインターンシップ制度を導入し若い人材発掘と共に有能なメンバーを集めマーケティングの仕組み化を図る。
今後はコンサル事業、日本の文化輸出を狙い新しい事業創出を狙う。2009-11 -
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双日株式会社|Sojitz Corporation
営業
新規事業開発グループ/環境事業部/総合環境プロジェクト課
2004年に施行された自動車リサイクル法を機に総合商社としてのポジションを活かし事業参入。
新しいビジネスモデルを構築しIPOを目指す一員としてジョインする。主に国内中古部品を担当。売り上げは常に右肩上がりで事業は好調だったが2007年に会社の事業方針変更に伴い事業部解散を経験。(採用面接で3回落ちましたが、自分を採った方が絶対にプラスになりますと訴え4度目の面接で入社に至った経緯あり)事業解散後、グループ会社への転籍提案があったが辞退してパーツワン創業準備をスタートする。2005-10 - 2007-03
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フリーランス・セールス 法人営業
個人事業主としてスポーツ栄養学や健康問題に関する知識をベースにサプリメントなどを販売する。
スポーツジムにイベントの企画、栄養学セミナーなど提案し取扱い商材の認知を高める。
また神奈川県の麻布大学淵野辺高校体育学科コースでスポーツ栄養学やメンタルセミナーを行う。当時の淵野辺高校の課題は中学時代ベスト8の選手が多く勝者のメンタリティを杖付けることが最大の課題だった。全国大会には2年連続で出場を勝ち取る。
現:川崎フロンターレ小林悠、FC東京:太田宏介などが所属している
自分で自分のことをマネジメントする難しさが大きな学びです。
また顧客との継続的関係性をいかに保つか
ビジネスは攻めと守りのバランスがとても重要。2004-01 - 2005-08
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フリーランス・セールス 訪問販売
フルコミッション(成功報酬型営業)
基本給ゼロ。契約を取ったら1件ずつ報酬を貰える営業に従事する。
取り扱いはプロバンガスの提案営業。
各家庭を訪問して取扱いガス会社に切り替えて貰えるように提案します。
訪問販売は嫌われる仕事の一つであり、断られることもたくさんあります。
多くの方がプロパンガスは全員同じ料金だと思い込んでいる常識があり、その常識をひっくり返し、きちんと提案をさせていただくプロセスは「難しい」と言う単純な言葉で表現できるレベルではありません。
奥様方の井戸端会議に参加する。地域の子供と一緒に遊ぶ。工事業者に間違えられるようにする。ありとあらゆるアプローチ方法を自分で考え自分で実践する毎日です。
顧客心理の本質とは何か 自分の中に積み重なっていく日々でした。2001-07 - 2003-12
-
ネッツトヨタ神奈川株式会社
自動車整備士、自動車鈑金塗装
自動車の鈑金業務を担当。主に大事故車や中事故車の修理を担当。
1997-04 - 2001-03
Projects
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One-Will
秀實社(東京都中央区)と産経新聞社(東京都千代田区)
が運営する次代人財育成塾One-Will に参画。
働く楽しさや仕事の価値観を伝える社会人先生として多くの大学生と関わる。
「ゆとり世代」イメージでは意欲が低く、物事に対して受け身のイメージがありましたが、参加している多くの大学生が自分の成長を望んでおり、やる気に満ちているのにとても衝撃を受けました。自分は社会的に表現された「ゆとり世代」という言葉を勝手にイメージしていたが事実は大きく違ったことを認識する。
新しい世代のメンバーと新しい事業を創出していくパーツワンの考えもこの期間を経験する中で洗練された考えに熟成していきました。2014-7 - 2016-3
What I'm good at
Education
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日産神奈川自動車整備専門学校
自動車整備 2級自動車整備士
日産自動車が運営する専門学校。卒業生の就職率が100%。そのうちの約95%の人間が日産系列に就職をする。
-
東京都立山崎高等学校
普通科
体育祭では実行委員長を務め歴代の競技を変更し新しい競技や運営方法の企画・実行をする。予算を学校に出してもらったり、多くの仲間と協力をした結果、閉会式では多くの生徒が涙を流しながら校歌を熱唱している姿を見ることができ裏方仕事の楽しさを知る。
迫力ある騎馬戦 大将戦はカッコ良かった..
Courses
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特に無し
2018-5 - 2018-5
Clubs/volunteering
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サッカー部
サッカー小僧。
小学生の頃は全国大会優勝を目指して毎日練習をする。
当時のチームメイトはその後日本ユース代表、オリンピック代表候補に入る山口貴之がエースとして君臨し、自分はキャプテンとしてチームをまとめる
当時では珍しかったオフサイドトラップを積極的に使用しゲームをコントロール。
ドリブルサッカーを両立させ都大会準決勝まで進んだ。
よみうりランドまで少しだった・・・
中学ではゾーンプレス(当時はゾーンプレスと言う言葉が無かった)的な発想でコンパクトサッカーを目指す。
最終ラインからゲームを創ることを意識していた。
86年のW杯メキシコ大会でマラドーナの5人抜きを見たが、ドイツのゲルマン魂に感動する
高校
半年間本気で取り組んだが「もっとサッカー以外のことをやってみたい」と思い退部する。顧問の先生には物凄く引きとめられたが、新しい自分にチャレンジしたいと思い、ここでサッカー人生には一度ピリオド。1979-1 - 1992-10
-
バイク
高校時代に強い興味を持ったのがバイクです。
毎週水曜日夕方は峠に行きトップを目指す。
(当時は500人以上が集まっていました 笑)
各コーナーには常に新しい花束が手向けてありましたが怯むことなく、各々がプライドと名誉をかけてトップを争います。「最速組」と言う称号を貰えると、そこにいる誰からも尊敬の目で見られ、自分の小さな欲望を満たすことができました。
誰もが「自分が花束の対象になることはない」と言う根拠のない自信だけを頼りにノーブレーキでコーナーへ突っ込んでいくのです。
自分が死ぬ寸前には
「走馬灯のように様々なことがスローモーションのように流れてくる」
なんて本で読んだことがありましたが、一度だけありました。1991-4 - 1994-3
-
ドリフト
1994-4 - 1999-5
Languages
-
Japanese
Native
Certificates
-
自動車2級整備士
1994-4
-
普通自動車運転免許
1994-3
-
ガス溶接
1994-2
-
危険物乙種第4類
1993-12
-
自動二輪中型免許
1991-8
Awards
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特に無し
2018
-
サッカー 町田市ベストイレブン選出
1988
Publications
-
特になし
2018-5
Portfolio
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