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器用貧乏な僕が、回り道を経て“システムもちょっとわかるマーケター”になるまでの15年間

サイトビジットのマーケターとして、Webマーケを取りまとめる野村さん。心理学の勉強からシステムをかじり、マーケターになり、今に至るまでを語っていただきました!

―野村さんについて教えてください。

埼玉県出身、大学は北海道、大学院で四国、東京に戻ってきて就職、サイトビジットは4社目です。プライベートは、第2子が誕生したばかりで、夜中のミルク担当をしている寝不足のお父さんです(笑)。

―簡潔にありがとうございます(笑)。

―学生時代は、埼玉→北海道→四国と大がかりな移動をしていますね。まずは、学生時代について教えてください。

もともとは美容師になりたかったんですよ。勉強嫌いだったし(笑)。

でも、親に反対されたのと、実は自分自身が双子でして、兄は比較的勉強できて、地方国公立の法学部に現役で進学したこともあり、僕も大学に進むという選択肢を取らざるを得ず……1年間浪人して北海道の公立大学に入りました。自然に囲まれながら色々考える中で、心理学に興味が出てきて、臨床心理士養成コースのある教育系の大学院を教授に紹介いただいて四国に飛びました。

―でも、今、マーケターってことは、臨床心理士はどうなったの?

院試の試験問題が「学内サーバーの構築図を書きなさい」で。「えぇぇぇ!?」状態(笑)。

紹介してくださった教授との齟齬があって(笑)、結局入った研究室が情報教育のゼミでした。プログラミングを専攻する人が多い中、コミュニケーションも情報だよね!と思い、社会学、コミュニケーション学のアプローチで研究し、論文を書いてました。このアプローチが「面白い!」と言われ、ベトナムで発表したり、国内でも発表の機会が! 学会誌に何本か載り、優秀論文賞をいただけました。周りの方が優秀な方が多くすごく助けて頂いた結果です。ラッキーですね。

―成果も出ていたし、研究を続けようとは思わなかったんですか?

考えていなかったですね。現場主義なので、社会性を論文で語っても仕方ないだろうと感じていたのが大きかったですかね。研究者としてのお誘いもありましたが、民間就職することにしました。

―これが東京に戻るきっかけですね。リーマンショック後の2010年卒、院卒文系の就活はとても大変だったかと。

その通りです。エントリーシートを70~80枚提出し、一切ひっかからず。徳島の鳴門にいたので、物理的にも就職活動はかなり大変でした。新卒で入った会社も、実は選考プロセスの過程で不合格になっていたのですが、「次につなげるために、落ちた理由を教えてください」と連絡したところ、熱意を感じてもらい、社長と会うことになり、入社に至りました。

―どのような会社に入社したのですか?

資格業界のポータルサイトを作っているベンチャーです。入社前にインターンもしていたし、営業職の希望を出していたのに、辞令が「システム担当」! プログラミング論とか、情報分野にいたからかな、と推察しましたが、実際にプログラミングはしたことなく。

当時、新規サイトの立ち上げ話が社内で出ていて、そちらに携わることになったのですが、上司はSE叩き上げでむちゃくちゃ厳しかったですね。ゼロベースでSQLたたいたり、PHP組んだり。その時は朝一出社、日中は通常業務を教えてもらい、夜は遅くまで自学をしていました。半年くらいかけて、無事にサイトが立ち上がった時はとても嬉しかったです。結果的に、厳しい先輩の下について、とても鍛えられたし、社会人の土台を作る上で非常に良い経験になったので、ありがたいと思っています。

が、当時は、めちゃくちゃきつかったです(笑)。

ーといった矢先に、新規事業に異動になったんですね。

自社開発のCMS事業ですね。前任者の退職に伴い異動しました。「営業やりたいっていってたよね」って社長の一声で。

メイン事業がクライアントにユーザーを送客する事業でした。しかし、クライアント側も獲得したユーザーをフォローできていないという課題があったので、それを解決するためのシステムを作ってました。

―具体的にはどのようなことをやっていましたか?

プリセールス、営業、運用、分析、要件定義等幅広く1人で対応していましたね。

メイン事業で資格を販売したい企業が広告出稿してくださっているので、広告営業担当と同行してクライアントの課題をヒヤリングしつつ、システムのセールスも行う、といったことをしていました。

ーシステムの経験が活きてますね。

そうですね。

あまり認識できていなかったですが、当時はシステムが分かっている営業って意外と貴重だったと思います。

ベンチャーあるあるですが、ある程度事業が稼働したあと、ジョブローテーションでメイン事業の広告営業を経験後、最終的にマーケティング部に異動になりました(笑)。マーケティング部ではSEMを担当していて、その後のキャリアの土台がこの時期に出来上がりました。

―在籍5年程で転職をしていますが、転職のきっかけと会社を選択した理由は?

正直ベースで言うと、当時は自分への評価が低いと感じてしまったから、ですね。

次の会社を探していた時に、自身の中でコレ!と言える超絶特化スキルがないという意識が自分の中にあり。それでも、経験を活かせるのはマーケであり、そんな自身を評価し、意思決定の速さと熱意で誘ってくれたのが2社目の会社でした。



―転職先では、人材紹介の集客担当からスタートしたんですよね。

始めは、中途の人材紹介事業の自社サイトの集客担当をしていました。HR業界にいると分かる事なのですが、大手人材紹介会社のデータベースが解放されるようになり、自社集客の費用対効果が薄くなった結果、最終的には自社サイトの集客予算がゼロに。

同時期に組織編成に伴い責任範囲が広くなり、大手データベースの活用を含めた集客責任者として、グループ会社のマーケのプロフェッショナルの方々にご協力いただきながら悪戦苦闘してました。

―「大変な部分もあり、その当時楽しかった」とよくおっしゃっていますが、なぜ転職を?

子どもですね。その当時、奥さんが妊娠していて、ハードな働き方を理解してもらうことが難しかったということもあります。

―そこから、レコメンドエンジンの会社に転職していますが、ここではどのような仕事を?

まずはDSPの運用チームで、売上や配信量可視化等の、交通整理のようなことをやりました。また、レコメンドエンジンサービスのコンサルタントとして、導入後の運用レポート、要望の吸い上げ、エンジニアへ実装依頼等もやっていました。

―ここでも過去の経験が活かせていますよね。

そうですね。

コンサルタントはクライアントのシステム担当とやりとりすることも多かったので、システム経験はクライアントとのスムーズなコミュニケーションに寄与してましたし、マーケ経験は社内外で数値の視覚化などに活きていたなと感じています。

サイト構成を理解できると、表面に出ている数値だけで広告運用の良し悪しを判断するのではなく、サイト設計の部分まで含めて提案し、数値が上がるためのロジックを組み立てられる。

単なる自社のレコメンドエンジンサービスの提供だけでなく、クライアントサイトの全体を見渡して提案できることは信頼に繋がるのを実感しました。

もちろん、いいサービスが提供できる環境にいたからこそ、できた提案だと思います。

―それって、仕事的にかなり面白そうじゃないですか?

おもしろかったですよ! お客さんの売上めちゃくちゃ上がるし、自身はいろんな業界・商材に携われて世界が広がりました。信頼関係ができているクライアントでは、ABテストをして、あのレコメンドエンジンに勝つ!みたいに戦士的な意識で取り組んでました(笑)。勝つってことは、ユーザーさんにいいものが提供できている、それは購買につながるから、お客さんも喜んでくれますしね。

―それなのに退職を?

人の出入りが激しかったことから、業務負荷が想定以上になったことがきっかけですね。家庭に時間を割くべきだと意思決定して、ちょっと厳しいですねという話になり、退職しました。

―サイトビジットにたどり着くまで長かったですね(笑)。サイトビジットに決める時の転職軸って何でした?

もちろん、家庭との両立ができることは大前提ではあるんですが。人軸が強かったかな。

―誰に会いました?

印象に残ってるのは、鬼頭さんと、エンジニアの横沢さんですね。彼、明るいし、聡明で。こういう人とお仕事したいなと思いました。

その頃は、最終選考プロセスで1日インターンがあったから、オフィスの雰囲気や他のメンバーにも会わせてもらったおかげで迷わず決められました。


大学時代の大移動から大変な就活を経てマーケティングとシステムの強みをもった野村さん。

サイトビジットに入社してから、またサイトビジットの組織づくりについては後編にて!下記よりご一読ください。↓

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